佐喜眞美術館

Sakima Art Museum

年末年始と次回の展示替えのための休館日のお知らせ


年末年始
2018年12月31日(月)~2019年1月2日(水)
※開館は1月3日(木)からです

展示替えのための休館日
2月4日(月)・2月5日(火)

開催中の展覧会

命どぅ宝「沖縄戦の図」展/佐喜眞美術館コレクション展 

【会期】2018年11月22日(木)〜2019年2月3日(日)

佐喜眞美術館コレクションより草間彌生、ケーテ・コルヴィッツ、ジョルジュ・ルオー、浜田知明、オサム・ジェームス・中川の作品を58点展示しています。
また、「沖縄戦の図」14部のうちの7点を展示しました。
人間の尊厳を深い視座から表現する各作品は、時代を超えて私たちに生きる意味を鋭く問い続けます。ぜひご覧ください。

草間彌生(1929〜 )

草間彌生 ドレス リトグラフ 1982年

草間彌生 < ドレス > リトグラフ 1982年

日本の前衛芸術家。1929年、長野県松本市生まれ。水玉や網模様をモチーフにした作品で世界的に知られ、絵画や立体作品、インスタレーション(展示空間全体で表現する芸術)、小説、詩、ファッションデザインなど幅広い分野で活躍。受賞歴は多数。2003年フランス芸術文化勲章・オフィシエ章受賞、06年高松宮殿下記念世界文化賞(絵画部門)を受賞、09年には文化功労者。2017年10月、東京都新宿区に草間彌生美術館開館。

【展示作品】9点
  • 花をふんだ思い出 ガッシュ・水彩 1978年
  • 靴をはいて野にゆこう スクリーンプリント 1979年
  • 野に忘れた帽子 スクリーンプリント 1979年
  • 幻の野に立ちて スクリーンプリント 1979年
  • ドレス リトグラフ 1982年
  • 南瓜 スクリーンプリント 1986年
  • 花園 スクリーンプリント 1989年
  • 記念撮影 エッチング 1995年
  • 自画像 エッチング 1995年
ジョルジュ・ルオー(1871〜1958)

ジョルジュ・ルオー《ミセレーレ》57 死に至るまで、そして十字架上の死に至るまで従順なる 銅板 1926年

ジョルジュ・ルオー《ミセレーレ》57 < 死に至るまで、そして十字架上の死に至るまで従順なる > 銅板 1926年


フランス・パリに生まれる。20世紀フランスを代表する画家。太い線と深みのある色彩を駆使し、深い信仰から生み出されたキリストを主題にした作品群が特に有名。1912年の父の死を契機に『ミセレーレ』(ラテン語「神よ憐れみたまえ」)の制作を構想。身近で経験した第1次世界大戦への怒りと悲しみの連作として27年に完成した『ミセレーレ』(版画集の刊行は48年)は、ルオーの思想のなかで重要な位置を占めている。

【展示作品】2点
  • 《ミセレーレ》57 死に至るまで、そして十字架上の死に至るまで従順なる 銅板 1926年
  • 《ミセレーレ》22 世は様々なれど、荒れ地に種蒔くは美しき仕事 銅板 1926年
ケーテ・コルヴィッツ(1867〜1945)

ケーテ・コルヴィッツ < 種を粉に挽いてはならない > リトグラフ 1942年

ケーテ・コルヴィッツ < 種を粉に挽いてはならない > リトグラフ 1942年

版画家、彫刻家。旧ドイツ領のケーニヒスベルク(現ロシアのカリニングラード)に生まれる。13歳のときから美術を学びゾラ、イプセンの作品に出遭い、社会主義運動とフェミニズム運動に関心を抱く。1891年、産業医の医師のカール・コルヴィッツと結婚。1933年にナチ党が政権を奪取、以後コルヴィッツはさまざまな圧迫を受け、「退廃芸術」の烙印を押されて芸術アカデミーからも追放。1914年に第一次大戦で次男ペーターを、1942年には第二次大戦では従軍した孫のペーターが戦死。ヒトラー自殺のわずか8日前の1945年4月22日、77歳で死去。

【展示作品】7点
  • 死んだ子どもを抱く母 エッチング 1903年
  • 《戦争》第6葉 両親たち(第3ヴァージョン)木版 1923年
  • 母はその余剰を与える! リトグラフ 1926年
  • こどもと眠る女 木版 1929年
  • 自画像 石版 1934年
  • ピエタ(ブロンズ)1937/38年
  • 種を粉に挽いてはならない リトグラフ 1942年
浜田知明(1917〜2018)

浜田知明 初年兵哀歌(歩哨) エッチング、アクアチント 1954年

浜田知明 < 初年兵哀歌(歩哨)> エッチング、アクアチント 1954年

版画家、彫刻家。熊本県生まれ。1939年東京美術学校卒業後、第二次世界大戦終了まで、下級兵士として兵役につく。戦後、駒井哲郎・関野準一郎に銅版画法を学び、56年のルガノ国際版画展出品の『初年兵哀歌(歩哨』が受賞し、これに続く兵隊シリーズで、戦争体験を原点とした社会派版画に独自の孤高の地位を築く。その後、彫刻も始める。今年100歳を迎える現在も制作を続けている。93年大英博物館日本館「浜田知明展」、96年東京・小田急美術館で「浜田知明の全容展、2010年神奈川県立近代美術館 葉山館で「版画と彫刻による哀しみとユーモア 浜田知明の世界展」、15年熊本県立美術館「戦後70年記念 浜田知明のすべて」。1989年フランス芸術文化勲章シュヴァリエ章受章。2018年7月死去。享年100歳。

【展示作品】24点
  • 初年兵哀歌(戦いのあと)メゾチント 1951年
  • 初年兵哀歌(歩哨)エッチング、アクアチント 1951年
  • 初年兵哀歌(歩哨)エッチング、アクアチント 1951年
  • 初年兵哀歌(便所の伝説)メゾチント 1951年
  • 初年兵哀歌(銃架のかげ)エッチング、アクアチント 1951年
  • 初年兵哀歌(歩哨)エッチング、アクアチント 1954年
  • 初年兵哀歌(風景)エッチング 1952年
  • 初年兵哀歌(陣地)エッチング、アクアチント 1953年
  • 初年兵哀歌 エッチング、アクアチント 1953年
  • 首 エッチング、アクアチント 1951年
  • 假標(かひょう)エッチング、アクアチント 1954年
  • 絞首台 エッチング、アクアチント 1954年
  • 地方名士 エッチング、アクアチント 1958年
  • 狂った男 エッチング、アクアチント 1962年
  • 家族(大)エッチング、アクアチント 1974年
  • 教授会 エッチング、アクアチント 1974年
  • せかせか エッチング、アクアチント 1975年
  • 取引 エッチング、アクアチント 1979年
  • 教授達 エッチング、アクアチント 1981年
  • 見られている・・・。 エッチング、アクアチント 1982年
  • ある日・・・。エッチング、アクアチント 1982年
  • 階段を上がる人 エッチング、アクアチント 1986年
  • 夜 エッチング、アクアチント 1988年
  • ボタン(A)エッチング 1988年
丸木位里(1901〜1995)
【展示作品】6点
  • 今帰仁大関 紙本水墨 1982年
  • けらま列島 紙本水墨 1983年
  • 天山山脈 紙本水墨淡彩 1985年
  • きゃん岬 紙本水墨 1986年
  • ざんぱ岬 紙本水墨 1987年
  • 残波岬 紙本水墨 1987年>
丸木 俊(1912〜2000)
【展示作品】3点
  • 赤シーサー 油彩 1984年
  • 万座毛 油彩 1984年
  • 辺戸岬 油彩 1984年

【丸木位里・丸木俊略年譜】

1901年
位里、広島県安佐郡飯室村(現・広島市安佐北区阿安佐町)に生まれる。
1912年
俊、北海道雨竜郡秩父別村(現・秩父別町)の善性寺に生まれる。
1923年
位里、東京に出て田中頼璋の天然画塾に学ぶ。関東大震災のため広島に帰郷。
1928年
位里、第13回広島県美術展に《黒淵》で初入選
1933年
俊、女子美術専門学校(現・女子美術大学)を卒業。千葉県市川小学校の代用教員となる。
1936年
位里、川端龍子主宰の青龍社展に《池》で初入選。靉光、船田玉樹ら同郷の若手芸術家とともに広島県産業奨励館で芸州美術協会展を開催。
1937年
俊、一等通訳官の子どもたちの家庭教師として一年間モスクワに滞在。
1938年
位里、青龍社を離れ、歴程美術協会の会員となる。
1939年
位里、歴程美術協会を離れ、銀座・紀伊国屋画廊で初個展を開催。
俊、第26回二科展に《白樺の林》で初入選。
1940年
位里、福沢一郎らが設立した美術文化協会に参加。
俊、日本統治下にあった南洋群島に半年間滞在し、多数の絵を描く。
1041年
俊、モスクワ公使の娘の家庭教師として再びモスクワに赴任し、半年後に帰国。
7月位里と俊結婚。12月、日本軍がハワイ真珠湾を攻撃、日米戦争はじまる。
1945年
広島に原子爆弾投下。位里と俊、広島に入り、一カ月ほど滞在。
1946年
位里と俊、日本美術会結成に参加。
1948年
東京・池袋から神奈川県藤沢市片瀬のアトリエに移り住む。
1950年
2月、日本アンデパンダン展に共同制作《八月六日》(原爆の図第1部《幽霊》)を発表。
8月には、第2部《火》、第3部《水》を発表し、秋から全国を巡回。
絵物語『ピカドン』をポツダム書店より発行するが、連合国軍占領下により出版禁止・原画没収される。
1951年
京都総合原爆展で第4部《虹》、第5部《少年少女》を発表
1952年
占領終結・原爆表現解禁。画集普及版『原爆の図』が青木書店より刊行。
1953年
世界平和評議会より国際平和ゴールド・メダル賞受賞。映画『原爆の図』(今井正・青山通春監督)公開。
俊、《原爆の図》三部作を持ってヨーロッパへ。
1956年
《原爆の図》10部完成。位里と俊、原爆の図世界巡回展のため中国、北朝鮮、モンゴル、ソ連を経てオランダに滞在中、位里の母、スマの不慮の死を聞く。
1970年
原爆の図米国展、翌年にかけて8会場を巡回(うち1会場は中止)
1971年
『日本の伝説』が第3回ブラティスラヴァ世界絵本原画展でゴールデン・アップル賞受賞。
1974年
丸木美術館栃木館が栃木県岩船町に開館。(1990年代閉館)
1978年
位里、俊「原爆の図・沖縄展」(沖縄タイムス社主催)のため初めて沖縄へ。
1984年
《沖縄戦の図》発表。
1988年
アメリカ・マサチューセッツ州立芸術大学より名誉芸術博士号授与。
1994年
沖縄・宜野湾市に佐喜眞美術館開館。《沖縄戦の図》常設展示。
1995年
位里、94歳で死去。池田20世紀美術館にて「丸木位里・丸木俊の世界」展開催。
俊、1995年度エイボン女性大賞受賞。
ノーベル平和賞にノミネートされる。埼玉県民栄誉賞、広島市制功労賞を受賞。
1996年
俊、1995年度朝日賞を受賞
2000年
俊、87歳で死去。第30回赤い鳥文学賞特別賞を受賞。