佐喜眞美術館

Sakima Art Museum

「謎の絵師 松村光秀を偲ぶ 展」

「謎の絵師 松村光秀を偲ぶ 展」
2013年3月14日(木)~5月6日(月)

「謎の絵師 松村光秀を偲ぶ 展」チラシPDF

 松村光秀氏は、「在日」の子として辛酸をなめた生活の中、家族を得てようやく掴んだ幸福の日々の中、火事により一瞬にして最愛の夫人と三人の子ども、住居やそれまでの作品のすべてを失います。幼い長女と二人だけ生き残った松村氏は、自分の身に起こった悲劇を真正面から引き受けて卓越した表現力と想像力で絵に、彫刻に表現し続けました。
 同封のチラシにある作品「天地」と「涅槃横花像」は松村氏の代表作のひとつです。夫人と三人の子は、冥界への案内者である白い像に導かれていますが、画面右にいる松村氏は途方にくれているような様子です。この作品について神戸市立博物館学芸員の岡泰正氏は次のように書かれています。
 「彫刻と画面は平安に満ちている。南画の飄逸さを身につけているこの大作が、油彩画であることを忘れてはならない。少なくとも、それは仏教的涅槃像ではない。となりで熟睡する人の寝顔をみるような、夏の午後に女房のあるいは母親の昼寝姿をみるような、人の愚かさと、おかしみと、いとおしさを溶け合わせて許容する、やや官能的でもあるオブジェである。その背後を飾る画面とひとつになって、『浄土変相図』ならぬ松村流の「寂滅為楽」(生死の苦に対して涅槃の境地を真の楽とする意)のインスタレーションを形成しているのである。・・・しかし、そこに何らかの「たましずめ」とでもいうべき祈りの気分があることは、誰しも感じることと思われる。・・・鎮魂(たましずめ)の真の意味は、死者ではなく、生者の遊離した魂を招いて、その身体に鎮めることなのである。画面の前でごろりと眠りにつく女の魂と一緒に私たちの魂も、一瞬、やすらかに離脱し、風になびく樹林を越えて浮遊していく感覚を持つのはそのためではないか。」
 沖縄の「まぶいぐみ(魂込め)」に通ずる感覚でしょうか。松村氏が「作品は、沖縄にあるとどこよりも喜んでいるように見える」と言ってくださったのも沖縄の魂との共振だったのかもしれません。

佐喜眞道夫

【お知らせ】
■2013年4月19日(金) 10時30分~予定
 松村光秀氏を長年にわたり支え続けた神戸・島田ギャラリーの島田誠さんと昨年佐喜真美術館でも個展を開催した石井一男氏が来館されます。ささやかな「松村光秀を偲ぶ会」を行います。どなたでもご参加できますのでぜひご来館ください。

松村光秀 略歴

1937年 10月2日  朝鮮馬山から日本に来た父・李義男、母・河貞順の長男として京都市中京区に生まれる
1943年 6歳の頃、貧困、家庭不和により精神的に困窮した母親が韓国に帰国
1946年 韓国にて母、逝去
1948年 福井県丹生郡へ1年間疎開
1949年 松原中学校入学。図画クラブに入り図画の全国大会学校代表に選ばれる
1952年 中学卒業後、京都の看板屋「竹松画房」で働き始める。絵を描く自信がつき、花の絵や風景画などがよく売れるようになり竹松画房を辞めて独立する
1962年 京展に初出品し入選。続いて出品した二科展でも入選を果たす
1963年 京都祇園の都雅画廊で初個展
1964年 賢子と結婚
1967年 長男 秀志 誕生
1970年 長女 志奈子 誕生
1972年 双子の次女・三女 継志子、総志子 誕生
1979年 自宅が火事で全焼する。妻と長男、双子の娘の4人が亡くなり、松村氏と長女だけが生き残る
2004年 木彫に専念するために二科会を退会
2012年 9月11日 逝去  享年74歳

個展

1963年 初個展・都雅画廊(京都祇園)
1965年 朝日会館ホール(京都)
1966年 ギャラリー紅(京都)〈’76、’81、’83、’84、’90〉
1977年 ギャラリーヤスエ(東京)
1985年 ギャラリー三条(京都)〈’92、’93〉
1986年 ABCギャラリー(大阪)
1989年 海文堂ギャラリー(神戸)〈’92〉
京都府文化博物館(京都)
1993年 海文堂ギャラリー(神戸)〈’93、’96、’98〉
ギャラリー中井(京都)
2001-2005年 ギャラリー島田(神戸・元海文堂ギャラリー)〈’07〉
2003年 信濃デッサン館・槐多庵(長野)
2004年 兜屋画廊(東京・銀座)
2006年 佐喜眞美術館(沖縄)
2007年 個展 ギャラリー島田
2008年 個展 ギャラリー島田30周年記念展
2010年 「松村光秀ノ世界展」神戸わたくし美術館
佐喜眞美術館(沖縄)
2012年 信濃デッサン館・槐多庵(長野)
2013年 ギャラリー歩歩琳堂(神戸)
ギャラリー島田(神戸)
佐喜真美術館(沖縄)

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