沖縄の美術館で「生と死」「苦悩と救済」「人間と戦争」を想う
私の絵画コレクションのスタートは浮世絵でした。1972年に沖縄が「復帰」したときに沖縄の公務員の給料や軍用地代が6倍になりました。当時、東京の大学に通っていた私は、これは沖縄の「島ぐるみ闘争」に対する分断策だと考え「私たちの庶民の文化を豊かにしたものは何か?」を探し求めてたどり着いたものが浮世絵(高見澤研究所版)でした。私は、「江戸の花」浮世絵ばかりでなく、そこに描かれた歌舞伎、大相撲、落語等々を見てその江戸文化を堪能しました。
浮世絵は、経済力をつけた江戸の中小町民に支えられて一世を風靡した「民衆のための芸術」でしたが、下級武士出身の明治政府は「平民たちのつまらぬもの」として否定してしまいました。その後、ヨーロッパの印象派の画家たちの絶賛が日本にも逆輸入されて国内で再評価され、今日に至ったことは周知のとおりです。
私は北斎の《冨嶽三十六景》や広重の《東海道五拾三次》の風景画をじっくり見ることでこの国にはかつて、どこまでも澄みわたる空気と千年の時をかけて作り上げられた「自然豊かな農村風景」が在ったことを実感ました。明治以来150年間での風景の変わりようには唖然とするばかりです。
広重にはしみじみとした人生の旅情を感じます。世界中の人びとを感嘆させる北斎の《赤富士》や《神奈川沖浪裏》にはやはり天才性を感じます。また、厳しい封建社会の身分制度のなかにあって、「四民平等」や「男女平等」を主張し、幕府にたびたび弾圧された「ふじ講」の人びとの富士登山を描いた《諸人登山》には、「画狂老人北斎」が当時の最先端の思想の持ち主だったことを想像させます。そして幕末の日本にはすでに民衆の間では近代社会が準備されていたことを知りました。江戸のすばらしい文化を破壊した明治政府の「文明開化」「富国強兵」「皇民化教育」政策の延長線上に1945年8月の大破綻がきたことを考えると、成熟した文化を破壊することがどれほど愚かで恐ろしいことかを思わざるを得ませんでした。
昨今のなし崩し的な文化破壊と暴力化していく世相を見るにつけ、「歴史をよりぶ厚く考える」ために私の「絵画思考」の原点である浮世絵をあらためて見直してみたいと思い、今回展示することにしました。
2024年9月27日(金)~2025年1月27日(月)
【会期】2024年8月28日(水)~9月23日(月)
【会期】6月14日(金)〜8月25日(日)